【閲覧注意】うつで休職2日目に尿膜管遺残症で手術寸前になった話
どうも、リワーク歴1年になったよっこいです。
休職生活の印象的なエピソードを記事にして振り返っております。
今回は、休職した次の日に尿膜管遺残症(臍炎)という病気になったお話です。
※再発の可能性はあるものの、現在は完治しております
羽生結弦くんも2014年に患った病気です。こうやって言うとなんとなく響きが良いですよね
それはもう地獄でしたよ…
絶対やぞ!絶対読むなよ!
始まりは筋肉痛?から
休職2日目、母と一緒に広い公園を小一時間散歩してきました。
もともと僕はアッシーくんするだけの予定だったのですが、「せっかくやからあんたも歩き」と言われ、軽い運動のために歩くことにしました。
その翌日、腹筋が筋肉痛になったような痛みがしました。
歩いただけで筋肉痛になるかなぁ?しかも腹筋って…
数日たっても治まることなく、徐々に胃がキリキリするような痛みに変わっていきました。ご飯も食べにくくなりました。
1週間が経った日、朝起きたら何か部屋が臭うなぁ、バキュームカーでも来たのかな?と感じました。バキュームカーならしばらくしたら臭いは消えるのに、ずっと残り香がします。
暫くして、部屋が臭うのではなく、自分の体が臭っているような気がしました。
寝○ソでもしたのか…? パンツの中を覗きましたが異常はありませんでした。(よかった)
昼前になって、何故かは分かりませんが、導かれるようにシャツを捲り自分の腹を見ました。するとそこには衝撃の光景がありました。
へそからどす黒い液体が流れ出ていて、その液体が異臭を放っていたのです。
「なんじゃこりゃああああ」と叫びました。
ガンか何かで死ぬかと思いました。
へそのゴマの匂いを嗅いだことのある方なら分かると思うんですが、ゴマをねりけしみたいに固めてそれを熟成させてような感じです…。
どっかの議員みたいに_| ̄|○、;'.・ オェェェェェってえずきますよ。
しかし、その日は日曜日…病院は休み。
とりあえずネットで調べたら「臍炎」という病名が出てきて「皮膚科行け」と書いていました。
翌日皮膚科に行き、診察を受けて数日間投薬治療をしたものの治らなかったので、紹介された近所の内科を受診することにしました。
小汚い近所の内科編 ~ドリルすな~
ベッドに寝かされて、触診が始まりました。
医師が下腹部を指圧して痛みの出る箇所を確かめるのです。
どこを押されても激痛が走ります。
どんな痛みかというと、男性の方にしか伝わらなくて恐縮ですが…金的です。アレです。
ほんとに痛いんですよ、玉蹴られるのって…
余談ですが、キャッチャーやっててショートバウンドが捕れなくてモロに直撃したときは下痢と吐き気が同時に襲ってきて起き上がれませんでした。
そんな痛みが心臓マッサージのペースでピンポイントに襲ってくるのです。。
その後CTを撮り、これからいったい何をされるのかとビクビクしていたら…
医師「紹介状を書きますので大病院で診てもらってください」
せんのかーーい ε=\__〇_ ズコー
ドリルすんのかい思ったらせーへんのかい!って感じです。
まあこの後「ドリル」されるんですけどね…
こうして、大病院へ急患としてタライ回しされることになりました。
一言多い大病院編 ~地獄の通院生活が始まる~
真の地獄はここからです。
救急科
痛みで歩くのも困難になっていたので、父に車で送ってもらい、
レントゲンと紹介状を持って大病院へ向かいました。
そしてまた触診が始まります。
担当医は田原総一朗みたいなジジイお爺さん先生でした。
余計に不安を煽ります。
田原Dr.*1「痛かったら言ってください」
ぼく「(どこ押しても痛いわ)」
そして腹をグイグイ押されたあと、細長い金属の棒をへそにブッ刺されました。
うめき声が出ます。
その後、田原Dr.は金属棒に付着したへそから出た液体の臭いをかぎました。
その時小声で「くさっ」と言ったのを僕は聞き逃しませんでした。
そして、田原Dr.の名札に「院長」と書かれていたのも見逃しませんでした。
軽く殺意がわきました。患者に「くさっ」はさすがに失礼すぎないか…?
「明日も来てください。外科で診察します」と言われ、その日の治療は終わりました。
外科
担当医が代わり、高橋克実っぽい先生になりました。高橋Dr.は優しいおじさん先生でちょっと安心しました。
そもそも「尿膜管遺残」とは
まず、尿膜管遺残になった過程を説明してくれました。それによると…
お腹の中にいる赤ちゃんはお母さんとへその緒が繋がっていますが、お母さんの膀胱と赤ちゃんの膀胱もへその緒を通して繋がっています。赤ちゃんが生まれたらへその緒は切られますが、その時に赤ちゃんのおしっこが通る管(=尿膜管)は自然と閉じるようになっているそうです。
しかし、何人に1人(忘れましたがレアらしいです)の割合で尿膜管が閉じずに管が空いたままになる場合があるそうです。
管が空いたままでも特に支障はないのですが、その空いたままの管に何らかの原因で雑菌が入ることによって炎症が起こります。その結果、へそから膿が出てきて、下腹部に痛みが出るのです。
これが僕が患った尿膜管遺残症(臍炎)なのです。
高橋Dr.「実際尿膜管遺残の人はもっとたくさんいてはるねんけど、分からないまま一生を終えるねん。けど今回レントゲン取ったからよっこいさんが尿膜管遺残っていうことが分かったんや。よかったやん!」
いや、よくねーよ…苦笑
治療開始
診察の前にレントゲン写真をもとにこれからの治療の方針を説明してもらいました。
「へその下に玉ねぎみたいな白い影が映ってるんですけど、これ全部溜まった膿です」
(゜д゜)
「これを全部出さんとあかんので、出しやすくするためにおへそに管を挿れます」
「なので今からおへその周りに麻酔を打ちます」
:(´◦ω◦`):ガクブル
注射針ブスッ
(゚▽゚;)はぅ!
「麻酔効いてくるまで時間かかるんで、それまでちょっと待ってね」
つかの間の休息…
のはずが、すぐへそをえぐり始めました。
「違うだろー!このハゲー!!」と本気で言いたくなりました。
痛い痛い痛い!!!と絶叫しました。
「麻酔追加しますね~」ブスッ
痛い痛い
そしてへそゴリゴリ→痛い→麻酔追加→痛い…
結局麻酔5、6本打たれたかなぁ
「管を挿れやすくするためにちょっと穴広げるね、痛いけど我慢してね」
そう言って、へそに長い棒を突き刺さしました。
1点集中の痛みが腰を通って背中の皮膚まで達しました。
「おなかとせなかがくっつくぞ」とはこういうことなのかと感じました。(違う)
こうして排膿のためのストローみたいな管がへそに縫い付けられたのでありました。。
ストローをつながれてから、膿をちょっとずつ出していくために、毎日総合病院に通うことになりました。下腹部がかなり痛むので、病院内の移動もペンギンみたいなよちよち歩きです。
その様子を見て、顔見知りになった看護師さんが
「よっこいさん、ゆっくりでいいですよ。へっぴり腰でたいへんそう…」
この病院、なんか一言多いんだよな・・・
手術してへそがなくなるかもしれなかった
実は手術になる可能性もありました。その場合は全身麻酔で皮膚を切開する大掛かりな手術になり、へそがなくなると言われました。
腹を切開して膿を取り除いて、縫ってもとに戻すみたいなことらしいのですが、元のきれいなおへその形にはどうしても戻せないそうです。なので、それっぽいへその穴は作るけども不自然な形になってしまうとのこと…
なので、「時間はかかっても、少しずつ膿を出し切るのが得策」との高橋Dr.の判断で、3ヶ月くらい通院して治しました。
(最初は毎日でしたが、徐々に間隔が空いていきました。通院初期は治療のたびに炎症?で38度の熱が出ました。地獄でした)
そのとき高橋Dr.は「手術は負担かかるし、そこまでする必要もなさそうやから頑張って逃げ切ろう」と言ってました。
俺はいったい何に追われているのか…
この判断が正しかったようで、時間はかかったもののへそがなくなることなく、尿膜管遺残症は無事完治しました。よかった~
ちなみに、家族は僕のへそがなくなったお腹を見てみたかったようで「なぁ~んや」と残念そうにされました。鬼か・・・
おわりに
羽生くんが尿膜管遺残症になった記事です。
12月26日から28日まで長野で開催された 全日本選手権で優勝し、見事に大会3連覇を達成した。
しかし27日のフリー演技後、これまでにないほど息を切らし、汗をしたたらせていた羽生結弦選手は、インタビューでも体調の悪さを話していた。実はグランプリファイナルのときから腹痛を繰り返していて、全日本選手権の間も吐き気を催す時もあるほどの体調だった。29日のエキシビションは欠場して、28日、29日に複数の医師に診察を受け、30日に緊急手術を行っていた。その病名は「尿膜管遺残症(にょうまくかんいざんしょう)」。
との記述がされています。
これ、マジですごいです。
精神力で乗り切ったのか…経験者の僕でも考えられません。
選手との衝突、右足の怪我も乗り越えての今回の金メダルです。もはや人間の域を超えている・・・
そんなわけで、最後に一言
羽生くん金メダルおめでとう!!!
休職関連はこちら
*1:もちろん仮名です